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忘れてはいけないもの

ふと、気になったので見てみたこの動画






思い出した。


3.11 東日本大震災

決して忘れてはいけないもの



思い出した。


自分の目で見たものを。
自分の五感で感じたすべてを。


昨年の6月
僕は宮城県へボランティアへ行ってきた

震災から3か月後ということもあり
まだまだそのままの状態だった被災地


たった1週間の滞在ではあったが
本当に行ってよかったと思った。


僕は高3の終わりに
マスメディアが嫌いになって
マスコミから流れる情報の偏りに
自分自身が洗脳されるのが嫌になって

ほとんど、マスメディアを見なくなった
見ないので家のテレビの線も抜いた。

だからテレビで見るよりどうとか
あまり言えないけど

だけども、生活していれば
たまに写真や映像は目に映る


そういうのを見てるだけでは

何もわかっていないに等しい


実際に行ってみてそう思った

というよりも、
そう思ったから行ってみた

「行ってみた」
当初はそういう感覚だった。

あれだけの死傷者が出ている
現場へ向かっているのに
不謹慎な気持ちだったかもしれないが

正直、軽い気持ちで行った
でも行くことに意味があると思った

ボランティアなんかにも興味がなかったし
むしろ他人のために0円で働く人なんて
偽善者だろうなって思ってたぐらい


でも、行って

被災地のボランティアをして

行動したから


わかったこと、感じたことが


そこにはあった。



現地に行った人が偉いとか
そういうことではないけれど


でも、少なからず
画面や紙面上でしか
見ていない人達よりは
感じ取っているものは多いはず


1番感じたことは

まだまだ先は長いな
復興までの道のりは長いな

ってこと


僕が行ったのは震災から3か月後

『3か月』って
みんなは長いと思うだろうか
短いと思うだろうか

僕は長いと思う

3か月もあれば
いろんなことができると思う

だから、
3か月も経ってるんだから
ある程度復興しているんだろうな
って思いながら行った


全然だった


行ってすぐにわかった
1年でも全然足りない。


まだまだ足りないって


こんな僕みたいな素人ですら
そんな予想は容易なくらい
悲惨な現状であった


自分自身も
1週間では足りなかった
ほんの少しの貢献にすぎない
こういう短期ボランティアの
小さな貢献が大きな力に
変るのかもしれないが


1週間なんて
ただの自己満にすぎなかった



何もなければ残っていた
1ヶ月でも1年でも滞在した

でも今思うのは
なぜ残らなかったんだろう

学校が親がバイトが…なんて
言い訳して留まることをしなかった自分

もともとそういうつもりではなかった
ってのもあるが、

大阪に帰ってから
すぐにでも戻れたはず

親には悪いが
いきなり大学を休学してまででも
行くべき場所だったと思う



今年の3月の
ヒッチハイク日本一周

人との出会いが目的だったため
行きたい観光名所は特になく

だが、唯一
決めていたのは
被災地でのボランティア


ずっと、また行こう
って思ってたけれど
あれから随分時間が流れたけれど

1年も経ったけれど

やっぱり来てよかったって思った


そして、予想通り

復興には時間が掛かっていた


もちろん9か月前よりは
変っていた


とはいっても

まだまだまだまだ。



この時、訪れたのは

東松島


日本三景でも有名な

松島よりも
もう少し東へ行ったところ

観光名所でも有名な松島は
点在する島々が防波堤となり

海岸沿いにも関わらず
津波被害そのものは少なかったみたいで

東に向かえば向かうほど
被害が目に見えて大きくなっていくのがわかった

東松島は
この時、参加させていただいた
NPO団体の代表さんの地元らしく

ボランティアの合間に
代表さんのご厚意で
日本三渓の嵯峨景観光をした。

IMGP0180.jpg


津波によって
破壊された部分もあったみたいだが

それでもなお
雄大に立ちそびえる岸壁と
そこに力強く生える松の木

IMGP0181.jpg


津波とはまた違う意味での
自然のパワーに圧倒された。

嵯峨景内の洞窟にも
船で入らせていただいた。

IMGP0178.jpg



もちろん観光はサブであって

ボランティアをしたわけだが
1年経った今でも
ゴミ拾いという現状である。

他には支援物資の仕分けなどもした

実際の仮設住宅も見た。


IMGP0186.jpg

本当に小さなプレハブだった。

IMGP0184.jpg


被災地はまだまだ
課題は山積みであり

このNPO団体にも
次から次へと仕事が舞い込むらしい。



話しを昨年の5月に戻すと、



僕が訪れたのは
津波被害の大きかった


石巻と雄勝


これもまた
ピースボートという
NPO団体に所属し
お手伝いさせていただいた。


拠点は石巻で
活動の中心は石巻であった

宿は貸倉庫
ダンボールの上に
寝袋を敷いて寝る。

P1050514.jpg


水道と電気は通っているが
ガスはないので

グループごとに
ガスコンロで各自の飯を作る。

P1050517.jpg


汗だくで仕事をしてるのに
シャワーは浴びれない
そんな日々。



石巻では
3日目から活動したが、


あの状況は
自分のキャパシティでは
伝えきれない


作業内容は、
側溝に溜まったヘドロの掻き出し
床下に固まったヘドロの掻き出し
民家の清掃と洗浄、殺菌
などなど


国籍バラバラ
多くの外国人と一緒に作業した

282321_759109502023_2912816_n.jpg



基本的に
民家からの依頼を受けて
頼まれた仕事をこなす。

自分たちの生活で
いっぱいいっぱいなはずなのに
その民家の方が差し入れをくださったり

極めつけは最後の
「ありがとう」の一言。

もちろん無償で行っているが

その一言は
お金には変えられない
お腹いっぱいな報酬である。




石巻での活動をする前に

僕は初めの2日間
配属は雄勝だった。


雄勝は石巻から1時間ほどの
海岸沿いにある小さな町で

津波最高到達地点30m


30mというのは
電柱2本分だそうだ。

実際に、外に出て
電柱を見上げ
2本くっつけたものを
考えただけでもゾっとする

雄勝に入ったボランティア団体は
3か月目にして僕たちが初めてだったらしく
本当に手つかずの状態であった。

P1050461.jpg


メディアなどで取り上げられる石巻などは
ボランティア団体が次から次へと来るが
このような交通も不便な田舎の小さな地域は
見落とされがちなようだ

P1050450.jpg


P1050503.jpg



雄勝での主な活動は
海岸の清掃。

P1050451.jpg

P1050493.jpg


ゴミや瓦礫を片付けていく中で
写真などを見つけると
胸が苦しくなる

被災者の方たちは
思い出も形として残すことができない

雄勝は硯(すずり)で有名な地域で
たしか、日本の硯の8割が
この雄勝で生産されているらしい。

海岸を清掃していると
硯が多く転がっているが

小さくて薄いそれらは
形を崩すことなく残っていた。

P1050508.jpg


防波堤は無残にもなぎ倒され

P1050459.jpg


ゴミがあちらこちらに散乱し

家は土台だけが残され
形の残った家もボロボロ

建物の上にバスが乗り

こんな状況が
同じ日本で
起きているのにも関わらず

日本人の無関心さには絶望する。



民家の清掃をしている時

町中に放送が流れた。

正確な言葉は忘れたが
「遺体を発見した際は連絡ください」と

自分はそんな状況下にいるんだ、と。

軽い気持ちで来ていた
自分が情けなく感じた


さらに、
その家のおばあちゃんと話した。

このおばあちゃんと家族は
すぐに高台に逃げて
命は無事だったみたいだが

近所の家を指さして
そこの家もそこの家もそこも
まだみんな行方不明なんだよ、と。


その時、改めて
自分の来ているところの
状況を再認識した。

そして、
そんな辛い状況にも関わらず
少しずつ前を向いて歩きだしている
被災地の人達に元気づけられた。



震災から1年以上が過ぎた今

1年”も”経ったから?
いや、違う。

まだ、1年”しか”経っていないのに


日本人はあの大震災を
忘れている。

募金したから終わりじゃない


今も狭い仮設住宅で暮らし
復興までの道のりが長く
道に迷い、
自殺者が増えている

被災地を政府は
放っておく気だろうか


最近では、
原発原発って
そればかり

大飯原発が再稼働した

原発は必要?

原子爆弾が二つも落とされている
日本に住みながら
第五福竜丸の被爆を経験し
福島の原発事故を目の当たりにし

なぜ、反対派の意見を押し切り
危険な原発を動かすのか

裏で動いている利権
情報も操作される時代


しかし、

何よりも危険なのは

原発よりも怖いのは、
日本人の『無関心』さ。

あれだけの原発事故が
起­きたにも関わらず…

そして、
ちょっと関心もったフリをした人たちの
とりあえず批判し­とけばかっこいい
みたいな現在の日本の風潮。

この流れのおかげで­
『正しい批判』が埋もれていく。

原発よりも怖いぜ。



冒頭でも書いたが

『思い出した。』



ということは、

忘れていたということ。


僕自身も
あれだけの現場を見て、
自分で感じたにも関わらず

忘れかけていた事実。


なんて情けない。




だからこの記事は
自分に対する警笛の意味も含め

みんなにも『思い出し』
何かを感じとってもらいたいな、と

そんな想いで書いた
真面目な記事。



P1050511.jpg


懐かしい想いと共に


あの時感じた
大切な想いを今一度

思い出し、見つめ直したい。






P1050474.jpg
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11:25 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

FREE☆PEACE

どーも
たくとです(・▽・)/


前回のヒッチハイクブログにも登場した

『FREE☆PEACE』


一体なんだろうと思ってる人も
多いんじゃないかなと

てことで、簡単に説明します。


ジョーの愛称で
みんなから愛される
金沢仁宏という一人の男の
アツイ想いと行動によって

実現した、夢に溢れた空間。


難波のアメ村にある
マンションの一室を借りて
誰でも自由に集える場所を作った。

そこに集う人間は
国籍、年齢、性別なんて一切問わない


夢を持ったアツイやつらや
夢を見つけたいって想いを抱きくる人

とにかく、本当にそこには
『夢』が溢れている。


みんなのアツイ想いがやばすぎる。


バカなイベントや

時には、
真面目にアツイ話をするイベントなど

いろんなイベントを
ジョーやそこに集うみんなが企画して

そこで出会った人々が
繋がっていく。


ジョーやFREE☆PEACEと出会って
まだまだ日は浅いけど、

この出会いを通して
多くの人と繋がった。

アツイ仲間が増えた。


ジョーのアツイ想いを受け継ぎ

関東にもアツイやつらは
いっぱいいるはずだ!と

しんゆが横浜に

FREE☆PEACEを作った。


名古屋にもできた。




そして、この度

その仲間達で

大阪の中心地
梅田にBARを出す。

ジョーと
のーくんこと和田展明が

中心となって、

いろんな人々の協力によって
ついに完成しました。


オープンは7月7日。


それに先駆けて、

今日7月4日と
明日7月5日に

プレオープン致します!


皆の夢でできたBAR 【FREE☆PEACE】
大人になったら何になりたい?

このBARをオープンするまでの道のりを
プレオープンにて

ジョーとのーくんがアツく語ります。


是非みんな来てください!

7月7日以降も
常に夢に溢れているんで
絶対に来たら得るものがありますよ!


詳しくは、
ジョーのブログにて。
ブログは→コチラから



このBARを創るにあたって
僕も少しばかり協力しました。

『本のほうがしっかりしている本棚』と
名づけられた、その夢の本棚は

僕の一番の貢献やと自負してます。
最高傑作です。




この本棚から夢を見つけてくれる人が
この先、何人もいるだろうな。


外壁や天井のペンキ塗りから
床やいすなど

業者には頼まず
ほとんど手作りで、




みんなの協力なしでは
出来なかった。

まさに、【夢でできたBAR】

皆の夢でできたBAR~FREE☆PEACE~大人になったら何になりたい?


場所は

大阪市北区曾根崎1-7-13
レイソル曽根崎 203号室



ほんま騙されたと思って
一度来てみるべし!



BARについてはこの辺にして、





この前も
FREE☆PEACEで繋がった
メンバーで

『ヒッチハイクわらしべの旅』
をしてきました!


大阪から名古屋まで
8人同時にバラバラで出発して

出発時に全員が
握りしめているものは

【HBの鉛筆】

それが名古屋に着くまでに
何に替わっているか!


勝負するのは物の値段ではない!

そのモノにこもったアツイ想い!



そんな旅をしてきたので

またブログで更新していきます。

みなさんお楽しみに


16:52 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

ヒッチハイク❷~外国人の彼女が欲しい~

最近は色んな人に出会っています。

僕は『出会い』が本当に好き。


ヒッチハイクにしてもそう

会いたい人には
積極的に『会いにいく』
それが最近のテーマです。


一昨日は
経営コンサルタントの会社の

社長の四宮さんにお会いしました。

独特の雰囲気をお持ちで、
想像してた方とは違いましたが
すごく優しそうな方でした。
仕事中は怖いらしいですが…

せっかくお会いしたのに
聞きたいことがありすぎて
不完全燃焼でお別れしました。

ぜひ、またお会いしたい!



そんでもって昨日は

僕の人生の中で
ターニングポイントな人物
竹内さんと久しぶりにお会いしました。

社会に出てからのお話を
聞きたかったのでお誘いしましたが、

急な誘いにも関わらず、
時間を作ってくださり
ありがたい限りです。

いろいろとお話しましたが
相変わらずリスペクト。


現在は
一部上場の不動産サイトの会社に勤め、

学生時代から
ビジネスの世界をかじっていた
竹内さんですら社会の厳しさに
揉まれているようで


改めて
自分はもっと頑張らなあかんな
って、思わされました。


まあ、そんなこんなで
刺激いっぱいの毎日のおかげで

日々、成長しておりまっす!



どーも
たくとです(・▽・)/

ヒッチハイクブログ続きいきます!




まさかの過疎SAだった
吹田SAでトイレを済ませ、

ベンチに腰を掛けたら

6月8日AM0:00

最強の睡魔に襲われた。

睡魔と闘いながら
乗せてくれそうな人を探す。

『京都方面』

なかなか車が来ない。



1台の軽のBOXが駐車場に止まった。
日本一周の時に培った洞察力で

この人は乗せてくれるなって思った

「すいません!京都まで行かれないですか?」

「いくよ」

からの交渉開始。


やっぱ思った通り!
乗せてもらえることに。

コーヒーを買っていただき、出発!


名前を聞くのも写真を撮るのも
忘れちゃったが、

配達の少し特別な
仕事をしておられる方で

この時は仕事の帰りだったらしい。


ヒッチハイクで乗せてくれる人は

結構な確率で
自分で会社を経営しておられる方
つまり、社長さんだったりする。

だから、すごく貴重な話が
いっぱい聞けたりして

そういう意味でも本当にいい経験。

本当は大山崎ICで
降りる予定だったみたいだけど

大山崎を過ぎて
桂川PAに降ろしてもらった。

こうやって僕らの為に
自分の予定を変えたりしてくれる方も
けっこういるんですよ。

本当に人の愛を感じます。


1秒前まで知らない人だったのに

気付いたら
そんな見ず知らずの学生の事を
真剣に考えてくれている。

すごいよね。
愛だね。


そんなこんなで
AM1:00桂川PA


ここもここで、車が少ないぜよ

車があっても寝てるぜよ!


ってことで、

『名古屋方面』

一応ダンボール掲げながら
車の少なさに呆然と立ち尽くす。


するとそこに1台の
超かっちょええ車が登場。

そのときは、
運転手が乗せてくれそうな人か
そうでない人かなんかどうでもよかった

そんなことどうでもよかった。

ただただ

あの車に乗りたい。

ただそれだけだった。

あの車なら
名古屋まで30分で行けそうだ
だってかっちょいいもん

ただそれだけの理由で

みっちーと一緒に声を掛けに行く

しかし、そこからが長かった!笑


乗せてくれるっぽい感じだったけど

1時間以上の立ち話には堪えた。笑


隣のみっちーからの
早く出発しようやオーラがすごい


ようやく『出発という名のゴール』に
たどり着き、桂川を出た。



かっちょええ車は
渋いエンジン音を立てて
颯爽と名神高速を走り抜ける。


その車中で掛けられたBGM…

「なんでもあるから好きな曲言って」

そう告げられたのに
気付いた頃には

昭和の名曲が車内に響き渡っていた


知らない歌手ばかり
知らない曲ばかり

話を合わせるに合わせることができなくて
まあまあ大変だった。笑

「名乗るほどのものじゃないから」と
名前も教えてくれなかった。笑





そんな感じで
福井に行くという
そのおじさんと
そのかっちょええ車とは

新名神との分岐点である

草津PAでお別れ!


ここは深夜にしては
まあまあ期待できそうな雰囲気

ただ、JCT手前のPAなので

名古屋方面の人を
うまく見つけなきゃいかんてことで

ナンバーに目を凝らす。


ここで、みっちーの目が光る。

「あのお姉さんは絶対にいける」

さすが女好きみっちー。笑


豊橋ナンバーであることも含めて


みっちーがそのお姉さんに
狙いを定める。


車に戻ってきたときに
すぐさまお姉さんのもとへ。

みっちーの読み通り
乗せてもらえることに!

刈谷PAまでってことで
かなり進めることに

しかも、刈谷PAはでかいので
早朝でも可能性は十分ある

以前、トラックの運転手を
しておられたらしく

旦那さんもトラックの運転手で
この時は大阪におられる
旦那さんのために愛知から
はるばる着替えを持ってきた帰り
だそうで

すごい夫婦愛だなと思った。


結構な長旅だったが
刈谷PAに着き。

お姉さんとお別れ。


ここで僕の睡魔は
最強モードに。

早朝のくそ寒い中ベンチで
仮眠。


30分ほど寝て


次の車を探す!

隣のベンチにいた
男二人組に話しかけ、


乗せてもらえることに!


てつやさんとかずきさん!
二人とも奈良にある
同じ職場で働いているらしく

この日は
サッカー日本代表の
ヨルダン戦の観戦のために
埼玉へ向かっているところだったらしい


これまた長旅だったが


途中で見えた
我らが日本の誇る富士山が
超キレイだった\(^o^)/


あの壮大さは伝わらんが、
富士川SAに寄ってパシャり。





フットサルの話と
ワンピースの話でくそ盛り上がって
めっちゃ楽しかった。

特にかずきさんが
僕の好きなレイリーのシーンを
わかってばりテンションあがった。

てつやさんは
フットサルをしてるらしいので
同じ関西やし

VANESSAとの
試合をお願いしておいた\(^o^)/






海老名SAで降ろしてもらい

飯を軽く食べて、

またもや
天気が良かったので
外のベンチで熟睡。

かなり寝た。

さっきから寝てばっかり。笑


起きて、ヒッチ再開!

海老名の車量は最強


しばらくダンボールを
『横浜方面』で掲げていると

声を掛けてくれたのは

イラン人のアリ




初の外国人!
めっちゃテンションあがった!

日本に来て20年


日本語ペラペラ


こっちに来てから
ずっと肉の骨を抜く仕事をしてる

想像しにくいだろうが、
かなりの職人技らしい。

その、
仕事帰りに乗せてもらえた。



僕たちのこの日の目的地は
横浜のFREE☆PEACE

神奈川の鶴見にある。

そこへ向かうために

横浜青葉ICで高速を降りて
鶴見の方に伸びる102号線付近で
アリさんとはお別れ。


「外国語をうまくなるコツは、
現地の恋人を作ることですか?」

との僕の質問に

「まさにその通り」との返答。


やっぱり、愛してる人へ
愛を伝えるためとなると
すぐに覚えちゃうらしい。


僕も英語ペラペラなりたいから
欧米人の彼女がほしい。笑



そこから少し歩いて、
ヒッチハイク再開。

微妙な道だったが
この先歩いても
ええ道にたどり着きそうではなく

仕方なくその道でやるが
やっぱりうまくいかない

まあまあ二人で叫び散らかして

やっと止まってもらえた。

名前を聞いたんだけど
ちょうど携帯の充電が切れて
メモれなかったので忘れた。
すいません


止まりづらそうな道なのに
見つけた瞬間

一気に寄せてくれた
ありがたし。

でも、ヒッチハイクで
乗せてくれる人って

こんな感じで
見つけたら即決
ぐらいの感じの人が多い。



途中道に迷いながらも
無事、鶴見駅へ到着。







しかし、着いたはいいが

横浜のFREE☆PEACE
代表のしんゆに連絡がつかん

こっちは二人とも
携帯の充電が無くて
大変だというのに

まったくしんゆのくそ野郎
と思いながら、

大阪のFREE☆PEACE
代表のジョーに連絡。

ジョーから住所を聞いて
実際に部屋の前まで
たどり着いたが

しんゆに連絡がつかない。
インターホンを鳴らしまくっても
出てこない。

鍵が開いてることに気付き
開けたら

しんゆがやっと起きて、
ドアに向かっているところだった。


横浜FREE☆PEACEは
最近できたばかりなので
ほんまに何もない部屋だった

布団も冷蔵庫もテレビも
とにかくなにもなかった


ヒッチハイクのブログは
ここまでにして



FREE☆PEACEについて
書こうと思ったが


長くなったので
次の日記で書きます。





つづく。
21:06 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
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